アジア映画と那覇の街

90年代、アジア映画が熱かった。張芸謀(中国)、王家衛(香港)、陳英雄(ベトナム)。独自のスタイルを持った新しい才能たち。ハリウッド映画で育った私には、作家性の強い彼らの作風が新鮮だった。同時に、彼らが切り取ったアジアの街角の風景にも、強く惹かれた。

仕事と生活の場が隣り合わせ。町中に人間の匂いがあふれている。狭い路地にクルマは入れず、ひとが主役。そんなアジアの路地裏の風景は、私に郷愁を抱かせた。小学生時代、60年代の東京を思い出させるのだ。

長く勤めた出版社を辞め、映画を撮ることにした。アジアの映画で見たような、生命力にあふれた街を求め、旅をした。しかし日本のどの街も、整然としすぎていて、どこも活力不足に思えた。祈るような思いで訪れた那覇の路地裏で、私は求めていた情景に出会った。日本のどの街も持ち得ない、活気と人間くささに満ち、古びてはいるが、住む人の気配りの感じられる美しい街、那覇。

その日は一日中、スージグワァと呼ばれる裏町を歩いた。住所で言えば、那覇市松尾、牧志周辺。歩いては写真を撮り、疲れたらすり減ったコンクリートの道に座り、ぼんやりと街の音に耳を傾ける。子供の笑い声、テレビアニメの音声、食器のふれあう音、室外機のモーター音。迷路のような細い道を歩くうちに、路地奥の狭い空が群青色に染まりはじめた。夜が明けようとしていたのだ。その朝、私はこの街で映画を撮ろうと思った。1997年のことだ。

映画監督 中川陽介