琉球王朝の町並みを望む

歴史ある古都・首里には多くの観光客が訪れていますが、私たちはこの町に残る歴史に触れる機会はなかなかありませんよね。木の文化である日本に対し、琉球は石の文化に象徴されるそうです。戦争で多くの木造建築物は焼失してしまいましたが、石造建造物は今に伝えられています。首里城の城壁をはじめ、石畳道や石橋、井戸、墓など、首里の町では琉球王国の持つ技術を集めて整備された見事な石造建造物を見ることができますよ。

守礼門のすぐ側にある「園比屋武御嶽石門(ソノヒャンウタキイシモン)」は、国王が外出する際、道中の安全祈願を行った礼拝所で、世界遺産にも登録された琉球を代表する石造建造物です。

そこから緩いカーブを下っていくと、国指定重要文化財「天女橋」が見えてきました。この橋は駝背橋(だはいきょう)というラクダの背のような形をした中国風の美しい姿が特徴。琉球石灰岩の切石を積み上げ、勾欄(こうらん/橋・回廊・廊下などにつけた欄干)は細粒砂岩でできていて、蓮の実が彫刻されています。

首里の石造建造物といえば、こちらも世界遺産に登録されている第二尚氏王統歴代の墓「玉陵(タマウドゥン)」を忘れるわけにはいきませんね。自然の崖壁を掘り、連続した3つの3室が造られています。当時の板葺き屋根の宮殿を模した石造建造物で、棟には尚家の家紋や牡丹・唐草・宝珠などが彫り込まれ、左右袖塔上には陵墓を守護する石彫りの獅子像が置かれています。

続いて、「真珠道(まだまみち)」を歩いてみます。首里城と那覇港を結ぶ主要道路のひとつで、全長約9km。王家の別邸である「識名園」に向かう際にも利用されていたそうです。「真珠道」の大半は戦争で破壊されてしまいましたが、金城町に現存する238mの区間が「首里金武町石畳道」としてその姿を今に伝えています。琉球石灰岩の平石が敷き詰められ、沿道には赤瓦屋根の家や古い石垣も多く残っていて、首里らしい風景が広がっています。琉球王朝時代からの石畳道が戦火を逃れ、首里の人々が城下町としての誇りを持って大切に守ってきたことを実感できました。道の途中には那覇の町並みを見渡せるポイントもあり、ちょっと立ち止まってみたくなりますね。

石畳道の途中を右に曲がると、村ガー(共同井戸)として利用されていた「金城大樋川(キンジョウウフヒージャー)」があります。歴史書によると、17世紀末頃、薩摩で紙漉の技術を習得した大見武筑登之親雲上(オオミタケチクドゥンペーチン)が、帰国後にここの水を使って、沖縄で初めて紙を漉いたと記されているそうです。

石畳道の左側には、「内金城嶽(ウチカナグスクタキ)」とその境内の大アカギ群があります。この御嶽は、ムーチー(鬼餅節)由来の地といわれている場所。樹齢200年以上の6本のアカギがあり、標高は約20m。目の前にただ立っているだけで、不思議なパワーを感じられる神秘的なスポットです。