戦前・戦後から残る歴史と植物があふれる町

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糸満市の米須地区は沖縄戦の激戦地で、多くの人が亡くなりました。そんな戦争の傷跡を残しつつも、豊かな自然や文化が随所に見られるそうです。どんな発見があるのか、のんびり集落内を回ってみました。

戦前には琉球松の大木が並木を造っていたという「米須馬場」へ行ってみました。馬場のことを方言で「ンマイー」といい、琉球王朝時代に各地に造られました。毎年、収穫の時期に、村の人々が収穫した農作物を持ち寄って集まり、それぞれの出来栄えを品評したそうです。「ンマイー」はアブシバレー(虫払い)や原勝負の主会場でもあり、その際に競馬が行われたといわれています。現在はキレイに舗装され、真っ直ぐに続く広々とした道路です。

他にもすごい庭があると聞き、儀間家の庭を訪ねました。儀間家のガジュマルは樹齢120年。敷地内を接ぎ木などで1本に繋がったガジュマルが取り囲み、その姿はまるで龍のようで、「儀間家のドラゴンガジュマル」と呼ばれて親しまれているそうです。見事に剪定されたドラゴンガジュマルは、一見の価値あり。

昔ながらの伝統的な住居を眺めたいなら、赤瓦屋根の家屋やヒンプンがある金城家がおすすめです。現在は使っていないそうですが、豚を養っていたワーフール(豚小屋)も残っています。

集落内を歩いていると、あちこちに物置のような大きな建物を発見しました。これは昔の「タバコガマ」だそうです。昭和30年頃、米須地区では葉タバコ栽培が盛んで、米須馬場の東端と西橋に23棟の共同タバコ乾燥ガマがあったそうです。現在は、そのうちの1棟だけが残っています。昭和45年頃から、個人で自宅内に乾燥ガマを作ったため、共同乾燥ガマは約15年間でその役目を終え、個人の乾燥ガマも5棟のみ残り、倉庫として使っているのだそうです。

戦火で多くの建物が焼失してしまった米須地区ですが、それでも消えなかった地域の魅力がいっぱい詰まっていますね。花と緑にあふれた米須地区を回ってみて、沖縄の人々力強さを感じることができました。