古都首里探訪

いまから約600年前の1406年、佐敷の小按司、尚巴志は、中山城「浦添城」を攻め落とし、風水思想を取り入れ拠点を「首里城」へ移した。

1429年には南山王国を滅ぼし、交易王国「琉球王国」を樹立(第一尚氏王統)する。 それ以降首里は450年間「首里親国」として、王都のまちづくりが進められてゆく。 1470年、第一尚氏王統は金丸(のちの尚円)のクーデターによって滅び、第二尚氏王統が誕生する。 第二尚氏王統の第三代国王尚真は、政権の安定をより強力なものとするため、これまで地方にいた有力な按司(豪族)を首里城周辺に移住させた。また、王府制度の改革や整備拡充を行い、首里は琉球王国の首都としての位置づけがなされる。

ところで、琉球王国には外国船が度々訪れているのをご存知でしょうか。 ペリー提督遠征記第2巻(1854年)には、

「那覇の港に船が入ると、そこには美しい景色が展開される。海岸から山の頂上までゆるやかに登る斜面の全てが完璧なまで田園化され、冬の作物が緑の濃淡の影を与え、一様に広がる段々畑の山々と所々に忘れられたかのように点在するこんもりとした大木の樹木が田園風景に命を与え、美しい森を形成している。水平に延びる遠方の山々の頂には裸の幹の上に優しく枝を伸ばした琉球ならではの松の木が生い茂り、その松の枝葉から陽射しがこぼれている。これらすべてがこの世で最も豊かな田園風景を創り上げているのだ。」

スポールディング航海記(1853年)には、

「緑したたる街並み、見晴らしの良い丘、こんもりと繁る木立、どれをあげても首里の都は世界一美しい。士官たちは首里に登るといつも無情の喜びにひたる。手入れの行き届いた泉で喉の渇きを癒し、雲つく大樹の陰でピクニック気分。その気になれば昼寝だって楽しめる。昼のうたた寝が終わると鬱蒼たる樹木に囲まれた泉で水浴びを楽しむ。ここがアメリカならいったいどれだけの価値があるやら検討もつかぬ。あの伝統国イギリスでさえ、こんな古色蒼然たる自然の庭園を持ち合わせてはいないのだ。」

ペリー提督が浦賀湾に来航する前に琉球に立ち寄り記録した航海記の一部である。琉球の伝統的風景がどの様なものだったか、往時を偲ぶことが出来る。 戦争で焦土と化し、首里の風景は一変したが、1992年に首里城正殿が復元し、その後も関連施設や街並みも整備され、古都首里の風景が広がりつつある。日が沈み、夜風に身を任せながら首里城周辺を散策すると、往時にタイムスリップしたかのような感覚に浸るのは私だけだろうか・・・

伊良波 朝義