「あなたの住む街に雰囲気の良いカフェはありますか?
私の住む今帰仁村には、人間用のカフェが20件。それから神様用のカフェが21軒あります。県外には神様用のカフェはないみたいですね。」と言うと観光客は一様にポカンとする。
沖縄本島北部や伊是名、伊平屋には神ハサギ、神アシャギ、神アサギ等と呼ばれる祭祀に関わる建物がある…神様を招いて座って頂く場所…いわば神様のカフェだ。
多くの場合、昔は茅葺き屋根で軒の低い建物だったが、時代の流れと共に瓦葺きやコンクリート製のものが増えてきた。喫茶店からカフェにリニューアルした感じだ。
2012年、今帰仁の21軒の神様用カフェのうちの一つ、字与那嶺の神ハサギが新改築した。
私は今帰仁に移住したばかり。観光協会の仕事をする私は、テレビの取材に同行する形で区長に話を聞きに伺った。
老朽化で傷んできたため、住民のカンパや持ち出しで、しかも手作りで行った改築。珍しいという事での地元局の取材だった。
案内された新しい神ハサギは小奇麗で、これなら神様も喜ぶだろうという感じだった。
与那嶺の神ハサギは大きなモクマオウの木に囲まれた坂道の上にある。私は霊感といった類を信じないが、この坂道を上る際、どうも違和感があった。
坂の傾斜とモクマオウの角度が、妙な錯覚を生むのかも知れない。ひんやりとするのは1日のうち日陰の時間が多いからか…。
「雰囲気のある坂道ですね」と区長に言うと「カミミチですよ」と応えた。聞き覚えない単語に一瞬戸惑ったが「神道」の事だとすぐにわかった。
なるほど。神様のカフェに行くための神様の道か。私が感じた只ならぬ気配は、目の錯覚や日陰の涼しさという現代人の野暮な解釈ではなく「神様の道だから」なのだ。
今帰仁村観光協会 事務局長 又吉演
生まれ育った那覇から離れ、今帰仁村に住んで2年が経った。
東京のような都市から比べれば、那覇でも充分田舎に感じるだろうが、難読地名でも時折取り上げられる「今帰仁村」(なきじんそん)は、那覇から更に車で2時間。
美ら海水族館の先にある人口1万人にも満たない小さな村だ。
私が子供の頃…三十数年前の那覇には、それでもまだ自然が残っていた。
首里の団地に住んでいた私は学校のそばの川でグッピーやオタマジャクシやカエルを採り、裏山の木の上に秘密基地を作り、桑の実を採って食べたり、サルビアの蜜を吸った。
家への帰り道には臭い養豚場があり、豚の陰嚢に小石を当ててはオヤジに怒られ、草原に放し飼いのヤギを追いかけては、また怒られた。
そして月日は流れ、当時遊んでいた場所はことごとく開発され、道路やアパートがひしめく風景となった。
一人娘が小学1年生になるのを機に今帰仁に移り住んだのは、あの風景と日常を体験としてプレゼントしたかったからだ。
彼女が私の年齢になる頃には、今よりもっと失われているだろうから…。
夏が近づくと今帰仁に流れる大井川の上流で娘と一緒に遊ぶ。住まいから5分と離れていない。
私が学校帰りに遊んだ川よりも澄んだ川には、グッピーやオタマジャクシだけでなく、テナガエビや川エビ、モズクガニ、ソードテールといった多彩な生き物たちがいる。
ポケットからスマートフォンを取り出し、写真を撮る。ネットにアップする。3Gの無線ネットワークはこんな田舎にもしっかり届いている。
都会に住む知人友人からコメントが届く。
スマートフォンの中には都市がある。ポケットに都市が入るのだから、もう都市に住む理由はあまりないのだ。
スマホでテナガエビの料理の仕方を私が検索してる間、娘は10匹目のテナガエビを捕まえた。
今帰仁村観光協会 事務局長 又吉演
風水は、中国語で「フォンシェイ」、韓国では「プンス」、そして沖縄では「フンシー」と呼ばれ古くから生活の中に定着してきました。
おそよ700年以上前から、家屋の建築、墓作り、または、首里城の造営などに風水術が利用されてきました。
沖縄の各村々は、後ろに山や丘を背負い、前面に海がひらけているつくりかたになっています。
また、村の根屋(ねや、本家のこと)は村落の北もしくは、中心に位置しているのが普通です。
沖縄の村のつくりが、京都と同じように碁盤の目の作りをしているのも風水の影響を大きくうけているためと言われています。
風水とは、一言で言えば地相学です。
例えば家屋の向きを年間を通じた太陽の運行にあわせれば、より多くの陽光を取り入れることができ、高熱による室内の殺菌効果が可能です。
風の通りをよくすれば、室内の湿気がとりのぞけ、細菌やバイ菌などの繁殖もおさえられ安心した食生活が営めます。
よどんだ空気、じめついた湿気などのマイナス要素を除き、自然のエネルギーを生活のリズムの中にとり入れて健康を維持する術が風水学といえます。
現代と違ってクーラーや薬品の少ない時代、人々は自然の力、自然の勢いなどを読んで、そのエネルギーをとりこみ生きる術を工夫したのです。
劇作家 亀島靖
時代によって町並みは変化している。
特に、日本家屋は資材が木と土(瓦)と紙から、石(コンクリート)の時代へと大きく変化してきた。
その点、西洋は過去から現在まで石の時代が続いているため比較的、変化は少ない感がする。
沖縄はどちらかと言えば、本土に比べると石灰岩が容易に手に入るためか、石の影響が加味されている。
本土と沖縄の世界遺産を比較してみると、その印象が異なるのは材質の違いとも考えられる。また、その違いの延長線上に風土と文化の違いが感じられる。
古来、沖縄の町並みには、南方型文化の特色があふれている。琉球の村落の発祥は、マキョ(村落)と呼ばれる血縁集団の里作りに、そのルーツをたどることができる。
村の創立者である「根人(ニーッチュ)」は村づくりに必要な二つの条件を満たす場所を選定する。第一条件は、水源地の「泉(カー)」の存在である。次に、「腰当(クサティ)」と呼ばれる丘陵である。
クサティは、季節風を防ぐ防風の役目を果たす。根人は、風向きの反対側のクサティのふもとに本家を構える。
また、根人の姉妹は「根神」とよばれるウナイ神となり根人の守護神の役割をつとめるが、彼女達は根人の隣に居を作る。
琉球神道の基盤である「先祖崇拝」にのっとって先祖をクサティで風葬する習慣が生まれてクサティが信仰の対象となり、そこが村の守護神と変わり、さらに「御嶽(ウタキ)」という聖地になるのである。
斎場御嶽やその他の御嶽などで古い人骨が発掘されるのもそのためである。
先祖神はニライカナイの邦で子孫や村の守護神となり、神事、行事の時に渡来神となって来訪することになる。
御嶽に降臨した神々を案内する場所が、村落の中央に位置する「アシャギ(祭り場、離れ座敷)」「殿(トゥン)」であり、近代は公民館がある場所となっている。
これらの条件を満たして王国時代の村が創設され、村や町の環境が設定され、現代の沖縄の景観、風景の基盤が生まれたことになると思われる。
劇作家 亀島靖