風景と文化について
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時代によって町並みは変化している。
特に、日本家屋は資材が木と土(瓦)と紙から、石(コンクリート)の時代へと大きく変化してきた。
その点、西洋は過去から現在まで石の時代が続いているため比較的、変化は少ない感がする。
沖縄はどちらかと言えば、本土に比べると石灰岩が容易に手に入るためか、石の影響が加味されている。
本土と沖縄の世界遺産を比較してみると、その印象が異なるのは材質の違いとも考えられる。また、その違いの延長線上に風土と文化の違いが感じられる。
古来、沖縄の町並みには、南方型文化の特色があふれている。琉球の村落の発祥は、マキョ(村落)と呼ばれる血縁集団の里作りに、そのルーツをたどることができる。
村の創立者である「根人(ニーッチュ)」は村づくりに必要な二つの条件を満たす場所を選定する。第一条件は、水源地の「泉(カー)」の存在である。次に、「腰当(クサティ)」と呼ばれる丘陵である。
クサティは、季節風を防ぐ防風の役目を果たす。根人は、風向きの反対側のクサティのふもとに本家を構える。
また、根人の姉妹は「根神」とよばれるウナイ神となり根人の守護神の役割をつとめるが、彼女達は根人の隣に居を作る。
琉球神道の基盤である「先祖崇拝」にのっとって先祖をクサティで風葬する習慣が生まれてクサティが信仰の対象となり、そこが村の守護神と変わり、さらに「御嶽(ウタキ)」という聖地になるのである。
斎場御嶽やその他の御嶽などで古い人骨が発掘されるのもそのためである。
先祖神はニライカナイの邦で子孫や村の守護神となり、神事、行事の時に渡来神となって来訪することになる。
御嶽に降臨した神々を案内する場所が、村落の中央に位置する「アシャギ(祭り場、離れ座敷)」「殿(トゥン)」であり、近代は公民館がある場所となっている。
これらの条件を満たして王国時代の村が創設され、村や町の環境が設定され、現代の沖縄の景観、風景の基盤が生まれたことになると思われる。
劇作家 亀島靖