水と沖縄の工芸・伝統文化

高台に位置する首里は湧き水が豊富です。琉球石灰岩の地下から湧き出た水は、カー(井戸)やフィージャー(樋川)で受け止められ、今でも多くの史跡が残っています。そのひとつ「宝口樋川」に足を運んでみました。

ゆいレール「儀保駅」のほど近く、「まさかこんなところに!?」と思うほど交通量の激しい通りから一歩中に入ったところにありました。驚くほどたくさんの水がこんこんと湧き出ていて、触ってみるとヒンヤリ冷たいです。樋川の周りもキレイに掃除されていて、昔から人々の信仰の対象や涼を取る空間になっていたというのも納得の雰囲気。地元の方にお話を伺うと、水道が整備されていない頃は、ここで洗濯をしたり、水を汲みに来たりしたそうですよ。この豊かな水が、首里の人々の生活を支えていたんですね。

「宝口樋川」のすぐ近くに、「儀保紙漉所跡(ジーブカビシチドゥクル)」の案内板がありました。かつてこの付近には、儀保川の水を利用して、琉球王府が公に使う上質の紙「百田紙(ムンダガミ)」を作った紙漉所があったそうです。琉球の紙漉は首里を中心に発展し、その技術は離島にも伝授されたそうですよ。現在も儀保町には先人の技術を復元した紙漉所があり、琉球の紙漉の魅力を伝え続けています。また首里には、王家や上級士族が利用する日用品をはじめ、海外への贈答品として紅型や織物、漆器などの工房が数多く存在したそうです。これらは沖縄を代表する伝統工芸として受け継がれ、今でも多くの工房が残っています。

首里といえば、琉球王府の命を受けて「泡盛」の製造を許可された地域「首里三箇(鳥堀町・赤田町・崎山町)」があります。この3つの地域は、高台で盆地になっており、水量も豊富だったそうです。また石灰分に富んだ水質で、麹のカビの発育にも適していたといわれ、酒づくりに欠かせない条件を十分に備えていたそうです。首里に現存する「瑞穂酒蔵」「瑞泉酒蔵」「識名酒蔵」「咲元酒蔵」は、泡盛の約600年の歴史と伝統を背負い、今も首里の酒を作り続けています。琉球王府の命によって生まれたさまざまな伝統工芸や文化が、城下町である首里で発展し、そして他の地域にも広がっていった歴史を垣間見ることができました。